#22 説教臭い?
ツーリストシップを人に伝えたいのですが、説教臭くないように表現するにはどうしたらよいでしょうか
Fさん
ゆく河の流れは絶えずして
最近のテクノロジーは、便利です。 ちょっと困ったら、《ググれば》いいわけです。 ググると書いただけで、《ググる》と一発変換される辺りに、 利便性がもう、生活感ビタビタに密着している様がみて取れます。 ググりますと、まず冒頭に、こう出ています。 「自身の経験を一般化して、 若い人に対し自分のスタイルを一方的に押しつけてくる面倒臭い人」 なるほど、こうならないように、 ツーリストシップを伝えるには どうすればいいか、ですね。 どこを反転させると良いか。 つまり、そうでないようにするには、 その逆をすればいい。 (以前もどこかで、 そういう論調張りましたね私) もしかするとキーワードは、 ・自身の経験(俺が若いころはなぁ) ・一般化(それって普通じゃないですか) ・若い人に対して(どうせゆとり世代がよぉ) ・自分のスタイル(それが俺流) ・一方的に押し付ける(まあいいから喰ってみな。飛ぶぞ) この5つのプロセスから、 外れればいいわけです。 5つを是正するとなっただけでも、 身動きとれないくらいがちがちになりそうですが、 ただこの類の話は、もう一つ、別の時間軸を持っています。 それこそ、 この見解を一般論にするつもりはないですが、 私はそう思っています(俺流すれすれ)。 説教臭く聞こえる時代もあれば、 そうではない時代もある。 同じ現象も、時と場合によって、 捉え方が異なるという、まさに無情の世界。 最近新聞広告でやたらと、 『徒然草』や『平家物語』など、 古典的書籍の名前を目にします。 これもまた、 時代の要請なのかもしれません。 その中の一つ、 『方丈記』の有名な冒頭があります。 『ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず。』 流れる川は不変だけれども、 流れる水それぞれは、決して同じものがない。 常に、毎瞬、入れ替わっているという下り。 この一文が、「説教臭い」から 私の脳内に再生されたわけでした。 ガミガミとうるさかった母親を、 失った時に初めてわかる愛おしさ。 何回も言うんじゃねえよとうんざりしていた、 あの言葉が何と愛に満ちていたことか。 確かに5つのプロセスを外すことも大事ですが、 私は、むしろ、そのツーリストシップが 説教臭いものか、そうでないのかは、 もしかすると、時代が決めるものなのではないか。 そう、思っているわけです。 一見すると口うるさい説教が、 時間軸を変えて、《今だらこそ》、 じんと心に刺さることがある。 ツーリストシップがとりわけ、 持続可能なものであればあるほど、 時を刻むことで景色を変え、表情を変えるその概念は、 むしろ、説教臭いこと云々に縛られない方が、 そんなことよりも「伝えたいことがある」という情熱を、 失うくらいならむしろ、みんな頑固おやじになった方がいい。 説教臭いことの、価値。 それくらい熱っ気が入るほどの、想い。 ツーリストシップがツーリストシップであることの、 もしかしたらそれが踏み絵となる時代が、 やってくるかもしれない。 今ここで、その論調が説教臭いものかどうかは、 あとから、時代に、決めてもらいましょう。 『よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。』 川面に生まれる泡も、 何一つとして、同じ形で留まるものはない。 鴨長明でさえも、そう言っている。 ツーリストシップはこれからも、 川を流れ、泡を浮かし、 消えては生まれを、繰り返す。 千恵の遺産は、 過去の遺産を指し示してはいない。 遺産とは書いたけれども、 言わずもがな、 (俺が若いころはなぁ)を、 したいわけじゃない。 未来を生みだす、次代の遺産。 そのための、軌跡を、 こうして繋ぎ、背負い、向かうこと。 例えばほら、 今こうして、やや説教臭いおじさんが、 ツーリストシップ研究所というWEBを通じて、 物語を書き込むことができる。 想いを伝える方法に、限りはなくなりました。 『方上記』の時代は、 何かを伝えるだけでも、 命がけだったことでしょう。 だからこそ、 説教臭くとも、 伝えねばならない熱が、ある。 本当に、 最近のテクノロジーは、便利です。