#12 一期一会

ツーリストシップって一期一会、出会いを大切にするということだと思います。

Yさん

残っちゃいましたよ。

「いかに生きるかとは、いかに死ぬかということだ」


子どものころから思春期、

そして青年に至るわが人生の過程の中で、

個人的に《最もつまらなかった》のが高校時代だった。



何がつまらないって、

確かに勉強も複雑になったし、

微妙な年ごろで何かとイライラしていたこともあるが、

先生という先生がつまらなかった。


いじめっ子には指導もできず迎合する始末、

ダラダラと教室にやってくる覇気のなさ、

受けを狙ってか、センスのない下ネタを吐く。


これはもう牢屋だなと、

高校生活は半ば諦めていた。


そのせいか、とある先生の変わった言動は、

却って心に残るもの。



その一つが、冒頭の言葉だった。

しかし当時、意味はさっぱり分からなかった。



いかに生きることが、なぜ死ぬことになるんだ。

生きることが死ぬこと?

生きることは生きることだろうに。



…例えばこういうことか。

進むことは止まること。

好きとは嫌いということ。

熱いとは、冷たいこと。

…みたいな。



真逆の言葉をいい加減にくっつけただけだろうと、

当時はさして気にもしなかった…つもりだったのに、

今こうして、

いいおじさんになっても言葉が残るというのは、

何かそこに、深いところでつながるような、

妙な真理のようなものを感じ取っていたのかもしれない。



一期一会。

これぞまさに、

いかに生きるはいかに死ぬかを、

表現しているんだなあと、気付かされたのでした。



「逢うは別れの始めなり」


中唐期の詩人である白居易の言葉とされている。


出逢った瞬間に、別れが約束される。

永遠にその人と出会い、寄り添い続けることはできない。



この当たり前を、いつも私はないがしろにしていた。

高校の先生はつまらない、

こんな牢屋生活がずっと続くのかという諦めは、

この辛い連続でさえ貴重な有限の、

「ひとつひとつ」なのだということにさえも、

気付かせてはくれなかった。


否、私自身がその気づきに、蓋をしていた。



それくらい、生きているさなかには、

つらいと押し込める日々の中では、

今ここというものを満足に掴み取れない。



ましてやこの社会のスピード感、

10年前が嘘のように色褪せて思える時代。


ダラダラとやってくる毎日が、

実は有限でかけがえのない一日、

その貴重な瞬間の連続であり今ここにしかない、

はい、もうこうして語る間にも、

「もう過ぎ去っていく」「ウナギのように逃げていく」

ものであるということは、



このツップにこそ、

一期一会にこそ、

その真理が内在しているということだろうと、

思うのです。



ツップというものが、

この一期一会の大切さを乗せて、

その全ては、今しかできないことなんだという、

今を生きることの力強さの源泉は、

「いつか終わる」という強烈な人生の《終わり》にあるのだという、

言ってみれば当たり前の、

でも当たり前だからこそ「過ぎ去っていく」宝物なのだという、こと。



ツップと一期一会の親和性が、

私の中で完成した瞬間なのでした。





「いかに生きるかとは、いかに死ぬかということだ」



あの高校生活は最悪だった。

でも、最悪だったからこそ、

今もこうして、その言葉を抱えて生きている。




先生、元気ですか。

あの、つまんなかった高校生活に、

冴えない毎日にして貴重な毎瞬毎瞬に気づかぬまま、

何だかんだで、あなたの言葉が、

今もこうして、残っちゃいましたよ。



次はツップで、

一期一会を、私から、語る出番だと肝に銘じて、

「いかに死ぬか」を、堂々と「生きたい」と、思います。

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