#11 旅行者であり生活者である
この世の皆んなって、いち市民であり、未来の旅行者じゃないですか。ホストであり、ゲスト。そこに、お互いに優しくできるヒントがあると思うんです。
おしまいから、始まる。
ドラえもんって、ありますよね。 なぜか映画になると、壮大さが何倍にも膨らみ、 知らなかった世界がうんと広がり、 いじめっ子のジャイアンがなぜか急に優しくなったりと、 子どもたちに一体どれだけの夢を希望を生み出したのか、 もうわからないくらいの、偉大なアニメ。 …この、映画版ドラえもんでは、 数々の魅力はもちろんのこと、 意外な名セリフが生まれる場所でもあります。 お決まりのセリフの中で、 全然感動を呼ばない《ように聞こえる》セリフですが、 実は案外奥が深い、観方を変えると、 妙に示唆に富んで聞こえるものがあります。 『それを言っちゃあ、おしまいだよ』 元ネタは「男はつらいよ」の寅さんらしいですが、 このセリフ、いわばもう《おしまい》って、高を括った言葉ですね。 おしまいと聞くと、 それはダメなこと、という風に思うかもしれませんが、 そんなことは、ないんです。 《おしまい》によって、実は2つ、良いことがあります。 ひとつは、おしまいにすることで、 区分けが、垣根が、消えるんです。 こちらも、向こうも、なくなるんです。 だって、《おしまい》だから。 ノーサイドは、 《おしまい》から、生まれる。 今まであった壁も、 拘っていたものも、 みんな、ボーダレスにできる魔法なんだと、思うんです。 そしてもうひとつ、良いことがあります。 それは、《また始まる》というスペースが生まれるということです。 人間性心理学会の会長を務め、コンサルティング会社を経営した、 ウイリアム・ブリッジズ氏は、 『トランジション』という有名な書籍の中で、 転機や変化は、 「終わりから始まる」と説いています。 そう、何かを始める、何かが始まる前に、 必ず《何かが終わるのだ》という、鮮やかな視点を与えてくれました。 …からの、さて、冒頭に戻ります。 ホストであり、ゲストである。 一市民であり、未来の旅行者である。 この着想、AはAでありBである、 BはBであり、Aである。 まさに今までの概念や区分けを 《おしまい》にしたということなんだと、思ったんです。 区分けにしたということは、 あなたはこれ、私はそれ、という風に、 分割して立場を作ったということ。 機能的でありつつ、 どこか、対立的な要素をはらんでいる。 そこに、“お互いに優しくできるヒント”があるとしたら、 そう、それぞれを一つに、《おしまい》にしてしまうということ。 終わりから、始まる。 「それを言っちゃあ」、始まるんです。 ツップは、まず今ある垣根、 思い込みから一歩離れて、 旅とは何か、共存とは何かを、 一度溶かして、俯瞰して眺めることでもあると、思っています。 しかし、同時に、 今既にある固定概念、脈々と内在する前例は、 「終わることなく」今ここに存在しているものも、 現実として、あります。 良い悪いではなく、 そういう概念から解放を受け、 《おしまい》から始める、ということは、 ツップの未来志向を加速していく。 そんなミッションを、 この言葉から、頂いたように思っています。 しかしながら、 ドラえもんが映画の中で、そのセリフを、 まさか《何かを始めようとして》発した言葉とは到底思えず、 嘆きの言葉であることは間違いないわけですが、 あの、何とも言えない、 嗚呼ぁー、それおいっちゃあ、ていう切ないイントネーションが、 何とも言えない、粋を感させるのであります。 それこそ、このツップ研究所においても、 《おしまい》と《始まり》が同居する、 ひとつになる融合の場を提供することもまた、 ツップの醍醐味であるようにも思いますし、 冒頭にある名言、 「ホストでありゲストである」は、 それこそ、皆さんご自身もまた、 このツップ研究所を創っていく存在であるという、 何よりの証拠でもあるわけです。 だから、これからも、どうか優しい目で、 何だこの文章はって、思われても、どうか長い目で、 見守っていただければと、願う次第でございます。 …ん? それはお前の言い訳だって? 『それを言っちゃあ、おしまいだよ』