正しい拳
人間の怒りって、実は6秒間置くと、
穏やかになるって言われます。
または、
お前それどういうことだ!ってな具合に、
だーっと怒りを放っているうちに、
でゆーかもぉ、、はぁ、あのね…、という風な、
後半になると疲れてきて冷静になってくる感じ、
皆さんも経験ないでしょうか。
どうしてそれは、と聞いているうちに、
もう自分の中で処理されちゃって、
まあ、そういうことだよな、と、
納得する冷ややかな時が訪れる、あの独特の間って、
何なんでしょうね。(聞かれても知らないよね)。
ここで頂いたお手紙の2行目に、
私はそれを感じたのでした。
「それでなんで…」と始まった文面の結末が、
「守っていない人が多いです。」と、
疑問文をすり抜けて、平叙文で着地している。
そう、あなたはきっと、
なんでだよって、思って書いているうちに、
突き上げた拳を確かに感じながら勇ましく立ち上がったのに、
「まあ、そういうことだよな」が、
発令されたんじゃないか。
大人のくせにゴミを捨てるなんてと思っていたが、
「まあ、大人だってそういうもんだよな」という、
虚しい理解力。
そうなんです、あなたが正しい。
大人だからって、
偉くて、雄々しくて、
常識に富んでいて、頼もしいとは、
限らないのです。
そのことを、もう書いているうちに、
悟ったあなたの自然なまでの平叙文が、
やや虚しくも見えて、
だけど、だからこそ、ツップの存在意義が
炙り出されたものでもあったというわけでして。
ツップが双方向であることは、
過去のメッセージでも散々語ってきたわけですが、
大人と子どもという対比においても、
大人だから偉いわけでもなく、
かといってそう、
子どもだから未熟でよいというわけでもなく、
みんなそれぞれの双方向を生き抜いていくべきであり、
それぞれが「ちゃんと注意できる大人」を、
目指していくことこそがツップなのだと思うのです。
6秒待ったとしても、
話しているうちに穏やかな心が顔を出したとしても、
振られたサイコロは、あなたのものです。
だから、ツーリストシップは、
語れるかどうかということよりも、
あなたがそれを、
誰に語りたいか、
そもそも語りたいかどうか、
求めているかどうかにかかってくるんですね。
語れるかと聞かれたら、
私は「語りたい」と答えたい。
だって、だからこその、
ツップだから。
語ってそして行動する、
価値はそこにしか存在しないと思うからです。
正誤の世界に立った途端に、
点数を取りに行くかのような、
ちょっとツマラナイ世界が訪れてきそうで、
私はそのことの方がむしろ、怖いのです。
未熟だからこそ、語れる。
「まあ、そういうことだよな」という、
虚しい理解力があるからこそ、語れる。
そして誰もが、
この虚しい大人を通過してゆく。
突き上げた拳の凄さは何でもいいんです、
肝心なことは、突き上げた拳が、
そこにあるかどうか、です。
そしてそのことの方がむしろ、
正しい。
あなたの拳が、6秒を待ってもなお、
そこに、確かに、ある限り。