#18 こどもたちからの手紙2

深いところでつながっている

2つの質問は、案外深いところでつながっている、

そんなことを、頂いたメッセージを観ながら思うのでした。





もはや手垢べたべたの言葉ですが、

「なぜ山に登るのですか」と聞かれた登山家が、

「そこに山があるからだ」と答えたという、あれ。


イギリスの登山家、

ジョージ・マロリー氏の言葉だそうです。



さて。



なぜ、ポイ捨てをするのか。



そこに山があるからよろしく、

ここに捨てたいゴミがあるからだ、

と言いたいところかもしれませんが、

もうちょっと先があります。



ポイ捨てをしてしまう、つまり、

ポイ捨てが「起こる」理由は、

「ポイ捨てをされては困る人がいるから」だと、思っています。



当たり前ですが、

チンパンジーが森の中でバナナの皮を

「ポイ捨て」しても、

きっと誰も、困りませんね。


もとより、

チンパンジーのそれを、

ポイ捨てとは表現しないでしょう。


何なら、それもまた、

彼らが懸命に生きている証だとさえ、

言われかねない。

自然の摂理でもあるわけですね。



さて、人間の「ポイ捨て」は、

それをけしからんとする、

道路を綺麗にしたいと願う、

そこに住まう住民が、ココに在る、

このことが、ポイ捨てをポイ捨てにしている、

だからポイ捨ては「生まれた」と、

私は見ています。



じゃあ、チンパンジーのように、

人間が旅先でポイ捨てするのも、

それも自然の摂理と思えば、

ポイ捨ては常態化し問題は《消えるのか》と、

あなたはツップを標榜しておいて、

何ということを主張するのだ。



そんな声も聞こえてきそうですが、

いえいえ、そうではありません。





今年4月に亡くなられた宗教評論家のひろさちや氏は、


動物と人間の違いを、以下の式で表しました。



人間-宗教=動物


よって、


人間=動物+宗教


このように表せるのだと仰っています。




ツップ研究所の長として(急に何だ…)、

私はさらに、こう付け加えたいんです。



人間=動物+(宗教+文化+想像)


文化は言うまでもなく、

風習・伝統・思考といった人間特有の価値観ですが、


想像とは、

「これをこうしたら、この先どうなるんだろう」という、

未来予測であり、まだ見ぬ人に向けられた想いであり、

目に見えないものを信じるという、頭脳であり、心。


これは、動物には備わっていないと、

勝手に思っています。

(動物の専門家に言わせれば、

 ちげーよお前って、突っ込まれそうになったら、

 私は素直に、ごめんなさいします)




言い換えれば、

ポイ捨てを「する」ことで「困る人」がいる、

そういう想像が今ここで働いているという人間の証明でもあり、

だからこそ、

ポイ捨ては良くないよね、と想像できる、

あなたのような熱いメッセージを書いてくれる、

優しさであり危機感であり、

この先を見据えられる想像という余地が許される、

とっても素敵な機能であると、思っているんです。


だから、あなたの言葉にある、


「観光地を美しくすること、

 汚さないこと、

 保つことは人の想いで出きていると、

 私は感じています」が、

ツップの場に開花する、

想いが運ばれていくんだと、思っています。



そして、そうやって、


人間として宗教(私は信仰と言い換えますが)を、

文化を、想像を巡らし、

少しでも良くなりたいと、挑み続ける生き方、


それが、《わたしにとっての人生》であり、


2つ目のご質問への回答に《つながっていく》のでした。



「ポイ捨てをされては困る人がいるから」

その困る人に思いを傾け、

いつも美しい場を創るにはと試行錯誤すること、

あーでもない、こーでもないと、挑み続けること、

これは私にとっての、生きる意味になっています。


だから、ポイ捨てが「ある」ことで、

私たちは、そこに成長の芽を頂いているのかもしれません。





深いところでつながっている、ということは、

つまるところ、

深いところに《つなげていく》ことでもある。




そこにツップの使命があり、

ツップがこうして生きている理由でもあるように、

思うのでした。

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