#14 観光の価値って…
「日本はもう経済的に厳しいから、観光立国しかないんだ。」みたいなことを言う人こそ、ツーリストシップがないのではって思います。観光をただの消費活動としか思っていない感じがするので。
Tさん
愛で丸飲みにする
手厳しいご意見…、しかしその芯に、 熱い想いを感じさせるお言葉ですね。 こういう考察こそ、ツップの醍醐味ですね。 もう既に、こういうご意見こそ、ツップの萌芽です。 あれやこれやと、議論を深めるプロセスに、 ツップの価値があり、発展がある。 という意味では、 そうか観光立国に偏重する想いにも、 実はツップのマインドが潜んでいるとしたら…。 『食えなんだら食うな』 明治生まれの禅のお坊さん、 関大徹氏は、 このあまりに強烈なタイトルを引っ提げ、 数十年前に、このタイトル通りの書籍を世に出された。 ここに書かれている目次の言葉が面白い。 …というか、スゴイ。 ・病なんて死ねば治る ・無報酬ほど大きな儲けはない ・若者に未来などあるものか …なんだこれは。 何の遠慮もない言葉たちに、 やがて私は唸らされた。 死ねば治る。 死ねば治る? …確かにそうだ。 死ぬまいともがくことで、 得ている命と引き換えに、 捨てている価値というものが、 もしかするとあるのかもしれない。 関氏の言葉からは、 日常生活では感じたことのない、 鋭い刃のようなものを彷彿とさせた。 しかし妙に、愛も感じる。 むしろ、普段触れることがない、 稀有にして深い、愛だ。 ツップはきっと、愛だ。 3者を想い、 インとアウトの双方向を描く愛だ。 しかし、愛は得てして、ノイズを生む。 それが愛とは分からぬままに、 愛を期待し裏切られるままに、 そんなはずではなかったと、 落胆することだってある。 愛はとっても、複雑だ。 観光立国を目指し、 消費活動にしか目がいかない、 さて、それは愛を失った末路なんだろうか。 皮肉にも、善循環の社会は、 まず消費者が時間とお金を《ここに使おう》とする、 消費性向がスタートだ。 お金が全てとは言わない、 しかし消費意欲が、使いたいという思いが、 まずはこの隆盛の基盤を創る。 問題なのは、その消費の《仕方》だろう。 さらに言えば、 観光立国にしようとする動機、 どこからその行動が来ているのか、にある。 『日本はもう経済的に厳しい』だから、 観光立国を目指すという、この在り方にこそ、 メスの刃を、食い込ませるべきだ。 『日本はもう経済的に厳しい』 失われた20年を、 ため息とともに肩を落とし、 あの頃はよかったと途方に暮れる、 もうまるで未来を感じさせないおじさんのような発言を、 注文通りに真に受けた従順な着想に対してこそ、 まさに『食えなんだら食うな』だ。 観光をただの消費活動に《する》のも、 観光をただの消費活動に《させない》のも、 否、ただの消費活動にこそ、愛の一歩たり得ることも、 全てがすべて、ツップの愛であり、業だ。 関大徹氏が残した書籍の、 最後の目次がまた、愛を感じさせる。 《死ねなんだら、死ぬな》 俺たちのツップを、 俺たちで磨く。 それが、 観光立国であれ、 経済が厳しい国で、あれ。 きっとツップが、 双方を愛で丸飲みにする日は近い。 ツップの愛をもってすれば、 そんな課題たち、ぺろっと一口だ。 そう、この絵にある、 巻き寿司のように。 (なんで巻き寿司なんだろう…)