答えを探る旅
とても楽しみにしていた遠足や修学旅行を、
泣く泣く、体調不良でいけなくなったご経験、
おありだろうか。
特に最近はコロナ禍も手伝って、
予定されたものが軒並みなぎ倒され、
悔しい想いをした方々が大半だろうと思います。
行くはずだった旅行、
会うはずだった盟友と、
遠ざかっては、嗚呼、辛さを、
そして行くべきところ、
会うべき方々に、か弱くも懸命に、
思いを馳せる。
しかしですね、
実はこういう体験、
「できなかった」体験こそ、
「まだしていない」体験こそ、
真に迫るものがあると思っています。
お手紙を書いてくれた方、
まだ一度も家族や友人と旅行に行ったことがないと
書いてくれていますね。
ツーリストシップ研究所では、
旅行の体験の有無と、ツップの理解度とは、
無関係だと考えています。
そう、未経験だからって、
そのことが語れない、
知らないということではなく、
「未経験だからこその」ツップがあるという立場です。
旅行に行けなかった人には、
その行けなかった理由や背景も含めて、
悔しさも、辛さも、儚さも、
その一つ一つが既に、「旅を生きている」んです。
行けなかったという体験が、
既に旅行を「している」んです。
行けなかったという類の、
あなたにしか体験しえない、旅行、です。
出会うはずだった人と出会えない、
この体験が、大切な人を想い、恋い慕い、
嗚呼、どうしているだろうかと空を見上げる、
「そのこと」が、出会うという体験を、
あなたにしかできなかった体験を、
既に成しているんですね。
コロナ禍はそういう意味で、
確かにたくさんのものを奪いましたが、
その代わり、真の価値というものを、
できないことによる馳せる想いの何たるかを、
私たちは十分に「体験すること」ができた、
そんな貴重な時代を今、
生きていると考えています。
《知らざるを知らずと為す 是知るなり》
『論語』の有名な言葉ですが、
まさに「知らないこと」を「知らない」というところから、
「これを知る」ということも、観方としては十分あることです。
あなたが、まだ見ぬ旅行というものを、
未体験のあなたが観たことで生まれる「その心」こそ、
真の体験者の、その人でしか見えない視座の表れであり、
それもまた、ツップの生きざまに通じると考えています。
…そうするとね、
ポイ捨てをしようなどと思いもよらないかもしれない、
あなたの心の中に、
ポイ捨てをする理由、その背景、何がそうさせているのかの、
片鱗が見えてくるかもしれない。
私にはわからない、であろう、
ポイ捨てをする気持ちというものが、
「分からない」あなただからこそ、
湧き出てくるかもしれない。
そしてポイ捨ては、
誰もが起こしうるもので、
人として強い弱い、正しい間違っているというものではなく、
そこに確かな理由があるということを見出す視座が、
あなたの、まだ未体験という視座から、
にょきっと目を出すことだって、ある。
最終行に「教えてほしい」と書いてくれていますが、
大丈夫、もう答えは、その視座に、含まれています。
見えないものを見てみようとする、
何があるんだろうと前のめりになる、
そこから見えてくる、真に迫るものがきらりと光る、
そんな瞬間が、きっとあると思います。
それが、答えがないということによる、
あなたなりの、答えです。
答えを探る、ツップの旅、
まさに是、知るなり。