#21 レスポンシブルツーリズム
ツーリストシップとレスポンシブルトラベラーの違いは何ですか
Kさん
違いはフォーカス
日本の文芸評論家・小林秀雄氏が残した、 有名な言葉がある。 「美しい花がある。花の美しさというものはない」 言葉を超えた美を表すには、 もはや言葉には荷が重すぎる。 美しさの定義に、言葉も論理も歯が立たない、 そんな表現が却ってその「美」を浮きだたせる。 つまり、いうなれば、言葉の降参。 言いたいことは、 美しさは感じるもので、 語るものではない。 今日に至っても、 この言葉が消えなかったわけである。 しかし。 他方で、そういう「言葉」を用いることで、 皮肉にも、彼はその美を言い表していた。 言葉を超えた、という「言葉」をして。 しかも、秀逸に。 さて、 ツーリストシップである。 レスポンシブルトラベラーの違いを聞かれ、 私は、美しさの定義とダブった。 両者ともに、 良き旅の、垣根を超えた、 三方善しを説いているはずである。 しかし、いうなれば、 ツーリストシップは、 その定義こそあれ、 主体者の在り方に抵触している。 想像してごらんなさい、 旅は旅行者だけが喜んで、 果たしてそれで、良い旅になるのですか、と。 まるで、 当事者の大切な、その純な心に問いかけんばかりの、 《心の鷲摑み》を狙っているような気がする。 一方の、レスポンシブル。 日本語で「責任」を指す。 つまり、旅の在り方を、 その啓蒙の姿勢を、 旅にかかる「責任」にフォーカスしているのではないか。 責任という価値観(美)でもって、 《行動規範》に対しての、 鷲摑みを、感じるのである。 …一応断っておきます。 どれが良い悪いを語りたいわけではないんです。 私は内容の違いというよりも、 どこに焦点を置いているか。 フォーカスの違いではないかというのが、 私なりの答えです。 心の在り方か、 行動規範か。 やりたいことは、旅の向上。 それによる、皆で創り出す暖かな関係性。 決してツーリストシップに、 「責任がない」自由さを誇張したいわけでもなく、 レスポンシブルに堅苦しい枠組みがあるということを 謳いたいわけでもない。 その照らされる光が、 どの場所に当てられているかという話なのだ。 美しい花がある、 花の美しさはない、 つまり「それくらい」花の美は、 素晴らしいんだということを言いたい、 小林秀雄氏の、健気に咲く花に対しての、 何と奥ゆかしく純な心の持ち主なのだと、 ほのかな心地よさに包まれる、 この感触こそが価値なのであり、 そのことをおいて他にはない。 「美しい旅がある。旅の美しさというものはない」 皆さま、お待たせしました。 ツーリストシップ研究所、 8月6日のサミットを挟んで、 約3か月ぶりの更新でございますのよ。