#15 旅行は好奇心を満たすこと?
軽い興味だけで、生活者の空間に入り、かき混ぜていくことって、ツーリストシップがないなあと思います。実際に生活している人がいて、そこは観光客に切り売りしたくないんだってところまで売らなきゃいけない、魅せなきゃいけないのは、大変です。そういう空間に入りたいなら、しっかり勉強して色々わかった上で来てほしい。それがツーリストシップでしょう?
Hさん
好奇心を満たすと、ツップが起こり出す
この間、電車に乗っていたら、 隣に知人がいたことに気づかず、 30分ほど電車に揺られ、降りるときに、 「おお、お前かあ」 と驚いたことがありました。 灯台下暗し、という言葉の説明に これ以上ないシチュエーションだったわけですが、 もう一つ大きな教訓がありました。 人は、それに対して、 興味関心を持たないと、 どれだけ傍にあっても、目にしていても、 見事な素通りを展開してしまう。 目のレンズには確かに映し出されたとしても、 意識が追い付かない限り、《映らない》。 そこあるのに、そこにはない、 という結果を、 興味関心のなさが引き起こしている。 視覚ではなく、 その好奇心が、《それを存在させている》というわけだ。 さて、ここからのツップ、 もうツップ通の方は察したかもしれませんが、 興味関心、いわゆる《好奇心》というものは、 この好奇心を《満たす》ということは、 ツップのエンジンなのであります。 つまり、 好奇心を満たすような興味関心が沸き立つものであればあるほど、 例えば電車の隣に座る知人をまさか「あかの他人」とは、 感じますまい。 好奇心を満たし、興味関心が立つ。 そこから、「切り売りごめん」と嘆く側の、 その人そのものが存在し始める。 やがて、気遣いや、想いに寄り添うことができる。 ツップの浸透とは、 この好奇心とビタビタな関係性でなければ、 存在すら危うくなる。 そしてもう一つ。 危ういのは実は、好奇心だけではない。 《観光客に切り売り》というこの言葉にも、 警笛は鳴らされる。 ツップのマインドは、 双方向であり、一つの融合である。 立場を理解したうえで、 立場という垣根を越えて、 向こう側に渡って眺めて、 寄り添うという精神だ。 切り売りなんてした暁には、 ほら、グラムいくらで売り捌かれる、 魚の切り身みたいになっちゃうよ。 誰にも圧し掛からない、 誰も切り売られない、 誰一人として、 傍観者を創り出さない。 好奇心を満たすことは、 全員が主体者となる、 ツップの大切なよすがにもなり得る。 そんな気持ちで電車に乗れば、 さて興味のなかった乗客の皆様の、 何かしらの体温を感じ取れるとしたら、 毎日の通勤がスリリングでワクワクな、 好奇心に満ちた時間を創り出せるかもしれない。 向かいに座る貴婦人は、 どこに行こうとしているのだろうか。 斜め前に立つ青年は、 イヤホンで何を聞いているのだろうか。 そんなことにふと目を凝らすと、 ほら、埋もれていた好奇心が目を覚ます。 やがて興味関心に発展し、 切り売りではない、 本当の融合に寄り添える日が来る。 どんな機会も、 どんな場面も、 そうやって未来を感じられるものの連続性に、 良い意味で意味づけることができれば、 もはやツップは日常のそこら中に存在していることになる。 そんな場が生まれることも、 ツップにとって、素敵なことですよね。 ただ1点、注意するとすれば、 あまりに電車内で、好奇心のアンテナを立て過ぎると、 やや意識散漫になることがあります。 毎回の如く傘を置き忘れる、 私のようにね。